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映画『歓待』感想と考察 /『 LOVE LIFE』公開・深田晃司監督の原点の作品を観る

新作映画『LOVE LIFE』が全国ロードショーされている深田晃司監督。深田監督が2010年に発表した映画『歓待』について考察してみました。

(C)2010「歓待」製作委員会

 

 

目次

『歓待』作品情報

【キャスト】山内健司、杉野希妃、古舘寛治、ブライアリー・ロング、オノ・エリコ、松田弘子、河村竜也、菅原直樹、齋藤晴香、永井秀樹、足立誠、兵藤公美

【監督・脚本】深田晃司 【プロデューサー】杉野希妃・深田晃司

『歓待』感想と考察

鉄橋が遠くに見える河川敷。生い茂った草木からカメラは緩やかにパンしていく。ひまわりが咲いた家庭菜園のようなものの奥に、みすぼらしい小屋のような住まいが見える。このオープニングのシーンはのちにもう一度繰り返されるが、その住まいらしきものには近づいて行かない。どこか近寄りがたい雰囲気があり、その中が覗かれることは決してない。

 

一方、物語のメインとなる東京の下町の印刷所は常に周囲から丸見えの状態だ。そもそもそこに人が入っていかないと商売が成り立たないというのもあるし、近所の自治という名目で常に人目(それは好奇に満ちたものだ)がはりついている。出入りの業者など、二階の洗濯物にまで目を配り、店のものでない方のドアまで平気で開けてしまう。

しばらくして、この家は貼り紙をきっかけに一人の男に簡単に入り込まれてしまう。やすやすと侵入を許してしまったのは、この家が世間から丸見えだったからだ。

二階に住むようになった男がカーテンを開けてくつろいでいる姿をカメラは窓の外から映し出して見せるのだが、続いてこの男の外国人の妻までが二階で暮らすようになる。その妻はこの家の亭主と浮気を始め、その様子を別の男が双眼鏡で覗いていたりもする。

この家の若い妻は、やって来た外国人妻によって夫を奪われただけでなく、家庭内における「英語の先生」という自身のアイデンティティーをもあっさり剥奪されてしまう。

人の善意をついて、いつの間にか入り込んでくる侵入者というのは実に煩わしいものだ。いや、むしろ気味が悪いという方が正しいかもしれない。描き様によっては、現代社会を蝕むホラー作品にもなるところだ。だが、本作は、そうした方向には進まない。この丸見えの家はある種の「ハレ」の舞台、祭りの舞台へと変貌していくのだ。

ある時、外国人たちが、次から次へとこの下町の小さな住居に入り込んでくる。彼らの多くは不法入国者であり、本来ならもっと身を隠していなくてはならない存在だろう。しかし彼らは男の手配に従い、取り憑かれたかのようにこの家に集まってくる。  

 

挙げ句に皆が一列に並んで前の人の肩に手を起き、行進を始める。この時だけはこの小さな家がまるで四次元の異空間になったかのような錯覚を覚える。実際は当然そんなことはなく、その列は玄関から外に出て家の周りを大騒ぎしてぐるりと回ると再び家に戻っていっただけなのだが。ほんの一瞬だけ、ベルナルド・ベルトルッチの『暗殺の森』を思い出させるシーンでもある。

夜間にそのような大騒ぎをすれば、当然近所が黙っていない。通報を受け、警察がやって来た途端、外国人たちは散り散りになって逃げ出していくのだ。

やれやれというところだが、不思議なことにこのどんちゃん騒ぎには、国籍も違う見ず知らずの者が、「祭り」という形を借りることで、生きる歓びを分かち合うかのように連帯する姿が見受けられた。なにか現代社会の生き方のひとつのヒントにもなり得るような空気が感じられたのだ。

これが、閉じられた、誰もが見向きもしない空間(冒頭の小屋のように)の中で起こったのだとしたら、それは恐ろしい惨劇にも成り得たかもしれない。だが、この家は、「丸見え」の家だったので、そこに祭りが生じたのだとも言える。風通しがよく、誰もが覗き見ることができた家だったからこそ、惨劇ではなく、一種の奇跡が起こったのだとも言えるだろう。

 

傍から見れば、とんだ災難で、侵入してきたどう見ても詐欺師にしか見えない男の悪口を言う近所の人に対して、印刷屋の亭主は「友だちを悪く言わないでください」と言う。それをただのお人好しの発言ととってもいいのだろうか。丸見えであること、それが今の時代を生きる術といえなくもないのだ。

 

この作品以降、深田監督は「祭り」や「ハレ」による連帯の可能性には進まず、『淵に立つ』では『歓待』と同じようにある家庭に人が住み込むが、その男のとんでもない行動により一家の生活が一変するという物語を描いた。

その後も『よこがお』といった作品に見られるように、突発的な悲劇に見舞われ、生活が一変してしまった人々の姿を描き続けている。